文化財

更新日:2024年02月01日

世界遺産

紀伊山地の霊場と参詣道「大峯奥駈道」

晴天の下、高い山の紅葉した景色でピクニックを楽しんでいる人々の写真
緑の山々を背景に、青々と生い茂った木々や草木に光が差し込んでいる風景写真

平成16年7月7日登録

吉野と熊野を結ぶ約80キロメートルを大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)と呼びます。修験道の修行の道として、役行者(えんのぎょうじゃ)の開山以来1,300年の伝統を持ち、平成16年7月世界遺産に登録されました。 奥駈道は標高1,500~2,000メートル級の高地となり、途中の靡き(なびき)といわれる行場が57ヶ所定められています。上北山村地内約20キロメートルの間に、18ヶ所の行場あり、中でも冬籠り(ふゆごもり)の洞窟として「笙ノ窟」(しょうのいわや)が有名です。

国指定天然記念物

シシンラン

大きな木の幹の部分に白いシシンランの花が咲いている写真

シシンラン

昭和7年4月19日指定

シシンランはツクバネ樫の木に着生する植物で、7月頃に直径3センチメートル程の可憐な白い花を咲かせます。本州南部に生息し、この上北山村が自生の最北限です。
また、このランの花は天然記念物で絶滅危惧種に指定されている小型の蝶、「ゴイシツバメシジミ」の幼虫の餌になります。運がよければシジミ蝶の緩やかな飛翔が見られるかもしれません。
シシンランが自生する場所は、国道169号線から、小橡川沿いの県道226号大台河合線に入り北上すると、ほたる橋の約50メートル先に鎮座している水分神社の境内にある老木に着生しています。

附則:この水分神社の草創は不詳ですが、祭神に天之水分神(あめのみくまりのかみ)と、国之水分神(くにのみくまりのかみ)を祀り、1450年代(長禄年間)以前の創設で、お祭は、毎年4月13日と11月23日です。

  • 天之水分神:山頂の水の分配をつかさどる神
  • 国之水分神:地上の水の分配をつかさどる神

奈良県指定文化財

梵鐘

銅と錫の合金である青銅で作られた梵鐘のモノクロ写真

梵鐘

昭和63年3月22日指定

梵鐘(ぼんしょう)とは、もと宝泉寺の鐘撞堂(つりがねどう)に懸けられていた銅鐘(どうしょう)であり、紀年銘鐘(きめいねんかん)としても貴重なもので、吉野地方の重要な遺品です。
もともと僧定学の勧進により、和泉国の善福寺の釣鐘として製作され元亨2年(1322)、明治21年(1888)に岩本善太郎氏の周旋(しゅうせん)によって宝泉寺に移されました。<奈良国立博物館にて保管>

紀年銘鐘:年代の入った鐘

銅造不動明王立像

鋭い顔つきで両腕の太いがっしりとした銅造不動明王立像の写真

銅造不動明王立像

平成2年3月9日指定

銅造不動明王立像は、大峯修験の中でも、特に冬籠りの難行場として名高い笙ノ窟に伝来した仏像です。
寛喜4年(1232)に造立されたこの仏像は、建保7年(1219)暗殺された源実朝を弔うためにつくられました。
左手は自然に垂下し羂索(けんさく)を握り、右手は腰脇で剣を握り大きく右方に腰を捻り、頭は巻髪、天地眼(てんちがん)、左の上牙を下方に、右の下牙を上方に出し腰布、裳(も)をつけています。額や眉間、頬などは忿恕(ふんじょ)の表情に伴う激しい筋肉の動きが的確に捉(とら)えられています。<奈良国立博物館にて保管>

  • 羂索:青、黄、赤、白、黒の五色の糸をよった綱
  • 天地眼:右目は天を、左目は地を見ている
  • 忿恕:いかり、ゆるし

奈良県指定県指定無形民俗文化財

河合弓引き行事

後方に木造平屋の建物が建ち、着物を着た3名の方が矢を打っており、その様子を見ている関係者の方々の写真

河合弓引き行事

平成14年3月29日指定

毎年1月8日、河合薬師堂で開式が行われたあと、景徳寺の裏庭で弓矢祭りが古式ゆかしくとり行われます。
この祭りは当地に住みついた平家一門が再興を願い、練武を行っていたことに起因し、一般財団法人北山郷文化保存会(旧財団法人河合自治会)が中心となり現在に伝承しています。
河合には年預(ねんにょ)という役がありこの弓引き行事を世話します。現在では正月2日「矢初め」と言いわれる弓の練習が始まります。8日の朝4時ごろ頭屋(とうや)と射手は、宮の下の川に這入(はい)って潔斎(けっさい)し氏神を拝します。 その後頭屋の家に帰り朝食をとります。射手は上下装束に着替え、門出の杯を交わして、射場に行き、寺の和尚の読経の後弓を射ます。
射手は4人で、その中でも、初めて弓を射る者を「ネギ」といい、4年間務めると一人前と言われています。的は杉を薄く削いだものを組み合わせて作り、中心部分は柳の木を燃やした灰を使って円を書きます。上北山村で指定された唯一の無形文化財で、上北山村の歴史が引き継がれて行く重要な伝統行事です。

  • 頭屋:祭り事の世話人
  • 射手:弓を引く者
  • 潔斎:身を清める

上北山村指定文化財

如意輪観音坐像【秘仏】

平成15年12月18日指定

如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)は、木造、鎌倉時代~南北朝時代の作品
景徳寺の本尊<秘仏>で黒漆塗りの木瓜形厨子(ぼけがたずし)に納められています。檜の一木造りで彫眼、両肩にかかる天衣下で矧(は)ぎつけています。
丸く充実した頬を胸部や右膝を立てて座る体つきは、破綻のない彫刻性を示し、小像ながら均整のとれた品格のある造形は、作者の優れた技量を示しており、本像の伝来した経緯は明らかではありませんが、本像が河合景徳寺に祀られていることは上北山村の歴史を考える上でも重要であるため、上北山村指定文化財に定められました。

地蔵菩薩坐像

座禅を組んでいる地蔵菩薩坐像のモノクロ写真

地蔵菩薩坐像

平成15年12月18日指定

地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)は、瀧川寺の本尊で、桧材を用いた寄木造りで玉眼を入れています。肖像彫刻を思わせるような個性的で、特徴のある顔立ちで、小像ながら力強さに富んでいます。像底に応永6年(1398)に製作され、天保14年(1843)に修理されたことが記されています。造像の経緯が知られ、室町時代の基準作例として大変貴重です。

書跡 五部大乗経【磧砂版】

筆で文字の書かれた五部大乗経のモノクロ写真

五部大乗経

平成15年12月18日指定

五部大乗経(ごぶだいじょうきょう)は、大乗仏教の経典の中で殊に重要とされる五部の経典のことで、瀧川寺には182帖が現存します。室町時代応永21年(1414)京都の相国寺で刊行されたもので、内1帖には北山宮(自天皇)三十三回忌に奉納されたことが記されています。年代が判る版本経典としてばかりでなく北山宮と瀧川寺との結びつきが知られる資料としても貴重です。

五部大乗経:華厳経(けごんきょう)、大集経(たいじつきょう)、大品般若経(だいほんはんにゃきょう)、法華経(ほっけきょう)、涅槃経(はんにゃきょう)の五部

鉦鼓

平成15年12月18日指定

鉦鼓(しょうこ)は鋳銅製(ちゅうどうせい)、室町時代の作品。
鉦鼓は、念仏などを唱える際に打ち鳴らし、拍子をとる梵音具(ぼんおんぐ)であり、銅鋳造りでその形式的特色より室町時代の作品と推定されます。製作背景は詳らかではありませんが中世に遡(さかのぼ)る遺品として貴重です

書跡 隠元画賛出山釈迦図

上部に文字が書かれ、下に隠元画賛出山釈迦が描かれた隠元画賛出山釈迦図のモノクロ写真

隠元画賛出山釈迦図

平成15年12月18日指定

隠元画賛出山釈迦図(いんげんがさんしゅつざんしゃかず)絹本墨画淡彩 掛幅装 寛文5年(1665)の製作
伽耶山(かやさん)での6年間の苦行を終えて真の悟りへと向かう釈迦の姿を表したものです。本図には隠元の賛が書かれており「乙 巳」(1665)の年表を有します。隠元はわが国における黄檗宗(おおばくしゅう)の開祖であり、承応3年(1654)に来日し万治元年(1658)将軍徳川家綱に謁し、幕府から宇治に寺地を授かり黄檗山万福寺を開創した。
仏教史上、多大な功績を残した隠元自筆の画賛(書)を有する貴重な遺品である為、上北山村文化財として指定されました。

  • 伽耶山:韓国南部の山
  • 黄檗宗:日本三禅宗の一つ

金銅蔵王権現像

右手は握りこぶしをしていて左手は腰に手をあてた金銅蔵王権現像の写真

金銅蔵王権現像

平成24年3月21日指定

金銅蔵王権現像(こんどうざおうごんげんぞう)
忿怒(ふんぬ)の形相を示し、右手を振り上げて左手を腰に当て、右足を大きく蹴りあげる姿の蔵王権現像です。像容は、背面を表さない半肉(はんにく)状で、天衣(てんね)の一部を別鋳する他は、総体一鋳とし、衣文線(えもんせん)などに鏨(たがね)を入れ、表面に鍍金(ときん=金メッキ)を施されています。製作は13世紀と考えられ、伝来の経緯は詳らかではありませんが、役行者が感得(かんとく)したという蔵王権現は吉野・大峯における信仰の中核であり、本像もそうした信仰に関わる遺品と思われます。

役行者及前鬼・後鬼像

平成26年3月26日指定

役行者及前鬼・後鬼像(えんのぎょうじゃおよびぜんき・ごきぞう)
役行者像は、頭巾を被り、袈裟(ケサ)をつけ、その上に両肩を覆う葛の繊維を紡いだ糸からつくられる織物をまとい、高下駄をはいて岩座に腰掛けています。右手は膝上において独鈷杵(トコショ:両端がとがった短い棒状の仏具)を持ち、左手は錫杖(シャクジョウ:遊行僧が携帯する道具)を持っています。左右に従う前鬼・後鬼像は、いずれも肩を衣で覆い、フンドシを締め腰のまわりに獣皮を巻き、片膝を立てて座り、前鬼像は鉄の斧を、後鬼像は水瓶(スイビョウ:水を入れる容器)を持っています。
一般的な、役行者・二鬼像と異なり、ずんぐりとした体形で、ユーモアのある顔です。役行者像の背面に刻まれた文面から安政5年(1858)に願主大演のもと大峯山上の護摩灰を用い、南都細工人米川武が造形・焼成したことが書かれています。このような経緯で造られた瓦製の役行者像は類例がなく、背面に刻まれた文面とともにも資料性に富み、大峰山上の護摩灰を用い制作したものを、この地に関係の深い修行者が持ち帰ったものと推測される大峰信仰に関わる遺品です。

(左)斧の様な物を持ちフンドシを巻いた前鬼の写真、(中央)髪が長く矢の様な物を持った役行者の写真、(右)左膝をつき左手は鬼の棒を持った後鬼の写真

(左)前鬼(中央)役行者(右)後鬼

上北山村所有指定文化財数一覧

上北山村所有指定文化財数一覧の表

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