村に人が住み始めたのは寺院の過去帳などから判断すると、今から約800年くらいに遡ります。古来、村の始祖は平氏の末族だったと言い伝えられています。それを裏付けるように、村には景徳寺をはじめ薬師堂など、平氏ゆかりの寺々が多数あり、一門が遺した重要な仏像や古文書が所蔵されています。
これらの記録や言い伝え、古跡からみると、わが村は1185年に壇ノ浦で滅びた平氏の一族によって開かれたものと考えられます。
南北朝時代に入ると、村の歴史がはっきりと現れてきます。1392年の南北朝合一のあと、禁闕(きんけつ)の乱後、南朝の系譜をひく北山の宮(後亀山天皇玄孫)が本村小橡の瀧川寺に神器を持って潜匿されました。
ところが1457年、宮は主家を再興しようとしていた赤松家遺臣によって殺害されました。これを知って村人たちは、神器と御首を奪い返し、瀧川寺に手厚く埋葬しました。
宮の御墓は今日でも寺内にあり、また御霊は北山の宮に祀られ、御南朝哀史の君として崇められている。